さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある三瓶小豆原埋没林公園

ニュースレター

2010年12月号

大田の あがなもん こがなもん「四季折々の魅力 三瓶山西の原」

西の原と三瓶山の画像

~春~

毎年、3月後半に行われる野焼きが三瓶山に春を告げます。
枯れ草に火を放つと瞬く間に炎が広がり、焼け野原に変わります。
黒い地面が緑に変わるまではほんの数週間。若葉が芽生え柔らかな緑の原になります。

~夏~

草いきれがたちこめる季節。
牧柵の向こうでは黒毛の牛が悠々と草をはむ姿があります。
放牧は江戸時代初期から伝わる三瓶山の伝統。
短く刈り込まれた草原の道はクロスカントリーコース。
毎年8月に大会が開催されるほか、合宿で三瓶山に訪れた学生にとって格好の練習場所になっています。

~秋~

里より一足早く秋が訪れると、西の原は一面のススキの原に姿を変えます。
足を踏み入れると虫の合唱が聞こえ、可憐なリンドウの花に出会うことも。
草原の途中で振り向くと、ススキの海の向こうに広がる日本海の青が目に飛び込んできます。
心癒される風景に、カメラを手にした姿が目立ちます。

~冬~

北風に灰色の雲が運ばれて来るようになると、雪が舞い始めます。
吹雪が吹き荒れると、辺りは銀世界に一変。雲間から日ざしがさし込むと、雪原は光の舞台。息を飲む光景です。
真っ白い雪に覆われた西の原の、広々とした緩やかな斜面は小さな子供連れでのそり遊びなどに最適です。

 

太古の森のこぼれ話「活火山」

小豆原埋没林は三瓶山の噴火で埋もれました。三瓶山は火山なのです。
三瓶山の最後の噴火は、埋没林を埋めた約4000年前。その後は噴火した確実な痕跡や記録はみあたりません。
今のところ、活動再開につながるような兆候はみあたらず、お休みしている状態です。

では、三瓶山はもう噴火しないのでしょうか。
過去の活動履歴では、10万年前の活動開始から現在までに7回の活動を行いました。
活動間隔の長短はありますが、平均1.4万年に1回ということになります。この間隔からみれば、4000年のお休みはまだまだ「ほんのひと休み」といったところ。
活動をやめたと判断するには早すぎます。
10万才という年齢も、大山が約100万年活動を続けたことを考えればまだまだ若手といえるでしょう。
すなわち、三瓶山は噴火を再開しても不思議ではないのです。

気象庁は将来活動する可能性が高い火山を「活火山」に指定し、必要に応じて観測を行うことにしています。
その基準のひとつが、「過去1万年間に活動した火山」。三瓶山はこの基準に当てはまり、活火山に指定されています。
活火山にも、現在噴火している火山から三瓶山のように長らく休んでいる火山までいろいろあり、活動度が高い方から順にA、B、Cにランク分けされています。
三瓶山は緊急度が低いCランクです。

なお、「死火山」、「休火山」という言葉は、一般的には馴染みがありますが、分類の定義では使われません。
したがって、三瓶山は死火山か休火山か、という問いに答えはなく、「三瓶山は現在活動を休止している火山で、活火山指定を受けています。」という説明になります。

 

ヤマメ、とれたよ!縄文の森の秋まつり 10月10日開催

ヤマメつかみ取りの画像

10月10日(日)に「縄文の森の秋祭り」を開催。
このイベントは、縄文人になった気分で実りの秋を楽しもうという企画。
たき火でご飯を炊いたり、川でヤマメをつかみ取りして焼いて食べるなどの体験を30名以上の親子が楽しみました。
また、芝生園地では小豆原自治会のみなさんによる地元物産販売も開催。とれたての野菜が大人気でした。

イベントで大いに盛り上がったのはヤマメのつかみ取り。
 「あっちに逃げた~!」 
 「こっちに来た~!」
 「三瓶のヤマメは元気がいいの~!!」

ヤマメつかみ取りの画像

はじめは恐る恐る川に入った子どもも夢中になって逃げまどうヤマメを追いかけましたが、あまりのすばしっこさに悪戦苦闘。
そんな子ども達をはじめは岸から眺めていた家族のみなさん、やがて、じれったくなったのか次々と川に入り始めました。
子どもを手伝うはずが気づけば自分が夢中に。幼い頃に戻ったような気分だったのではないでしょうか。
ついには親子ともビショ濡れになってヤマメを追いかけました。

そんな苦労の末、ついに「捕ったど~!」、「おっしゃ!!」と歓声と拍手が響くようになりました。
捕まえたヤマメをつかんでたき火のもとへ向かう子どもたちの得意げな姿。
普段の生活にはない達成感だったのではないでしょうか。苦労して獲物を手に入れた縄文人の気持ちに少し近づけたかな?

みんながつかみ取りに夢中になっている間、ご飯を炊くたき火の番をしてくれたのは、小豆原地区のみなさん。
20年ほど前まではかまどでご飯を炊いていたというだけあって、見事な炊きあがり。
はじめは、自分たちで調理することに不安そうだった参加者のみなさんから笑顔がはじけました。焼いたヤマメ、イノシシ肉とともに、「いただきます!」。
また来たい、という声もいただき、 無事に終了しました。

大田のうまいもん「箱寿司」

箱寿司画像

箱寿司は、お祭りや来客の際の大田の定番料理です。
これは押し寿司の一種。
ごぼう、干ししいたけ、かんぴょう季節の野菜などの具を細かくきざんでだし汁、砂糖、醤油などで味をつけます。
これをすし飯でサンドして専用の木枠に詰め、軽く重しをしてなじませます。そして、錦糸玉子を飾り、切り分けていただきます。
小分けにした箱寿司はケーキのようにも見え、小さな子供達も大好きです。

木枠には大小あり、大きなものは一度に何十人分も作ることができます。
箱寿司の歴史は石見銀山とつながりがあります。幕府直轄領だった石見銀山には、江戸から代官らの役人が派遣されました。
彼らや奥方が江戸の味や風習を懐かしんで作ったものが箱寿司の始まりとされています。
大田市内数店舗でメニューにあるほか、スーパーでも手軽に購入できます。