さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある三瓶小豆原埋没林公園

ニュースレター

2011年6月号

大田の あがなもん こがなもん「福光石の石切場」

福光石石切場

大田市温泉津町に新たな観光スポットが誕生しました。室町時代から400年以上続く現役の採石場を見学できます。
採石しているのは「福光石」と呼ばれる岩石。今から1500~1600万年前、日本列島が大陸から分かれ始めた時代に、海底火山が噴出した火山灰などが堆積したもので、日本列島と同じ時間を共有する石とも言えます。
淡い青緑色の、目に優い岩石で、水に濡れてすべらず、吸音性や吸水性に優れていることから現在も建材などに利用されています。
埋没林公園の門柱はこの石でできており、古いものでは、江戸時代中期に作られた石見銀山・羅漢寺の五百羅漢像がよく知られています。
採石場の入口は、近代までの手堀りによる階段状の採掘跡と、ノミの跡が鮮やかに残ります。坑内に入ると、機械掘による空間が広がります。整然と切り出された跡は、ここが山の中であることを忘れ、巨大な石造の建物の中にいるような錯覚を覚えます。何気ない山の中に忽然と現れる不思議空間。一度のぞいてみませんか。
見学には事前の予約が必要です。
問い合わせ0855-65-4139(やきもの館)

 

温泉津「やきものの里」

登り窯

かつて、温泉津町では窯業が盛んでした。丘陵地には良質な粘土が採れ、谷に面した斜面は登り窯を設けるのに適していました。
また、焼成に使われる松材の入手が容易いう立地に恵まれていたのです。温泉津港は石見銀山の物流拠点だったことから、温泉津の陶器は北前船で全国に運ばれました。
温泉津焼の主力商品は、あめ色の来待釉に黒色の「たれ」という模様をつけた「はんど」と呼ばれる水めや、すり鉢などの生活陶器でした。最盛期は幕末から明治にかけてでした。鉄道運輸の発達やプラスティック製品の普及、水道の整備によってはんどなどの需要は減少し、温泉津焼の生産量は少なくなりましたが、現在も数件の窯元があり、新しいスタイルの温泉津焼を生み出しています。
やきものの里には、江戸時代中期に築窯された、10段と15段の登り釜が復元されています。
15段の登り窯は長さ30mと全国最大級。その巨大さに驚かされます。「春・秋のやきもの祭り」と若手陶芸家の会「若陶会」の開催時に10段の登り窯に火入れされます。
1300度の高温で焼かれた陶器は硬く、割れにくいとされています。
「やきもの館」では、陶芸文化の歴史の展示や温泉津焼の展示販売のほか、創作室で手びねりや絵付け等の陶芸体験も楽しめます。

 

埋没林フェスティバル

5月1日に「埋没林フェスティバル」を開催しました。いまにも降り出しそうな空模様と強風というあいにくの天候でしたが、予定通りに実施できました。
  入り口横のフェンスではミニ鯉のぼりがお客様をお出迎え。芝生園地では、大田市内のお茶のグループによる野点、小豆原自治会の皆さんによる野菜などの販売、そして松江市のパン屋さんが出張販売を行って下さいました。
午後は地下展示室で神楽の上演。出演は地元の多根神楽団、演目は「天神」と「大蛇」。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する出雲神話の一場面です。舞台は4000年前の森の中。埋没林の巨木の根本に特設ステージを設けました。
太古の森と神話の世界が出会う、他ではあり得ない舞台での舞は、実に幻想的。一挙一動に大きな歓声と拍手が起こりました。ご来場の皆様に「神話世界」をお楽しみいただけたことと思います。

埋没林フェスティバル

多根神楽伝承館 創立20周年記念 神楽大会

埋没林フェスティバルで神楽上演をして頂いた多根神楽団は、北三瓶地区の方が中心に活動している神楽団です。埋没林公園から徒歩10分ほどの距離にある活動拠点の「多根神楽伝承館」が、創立20周年を迎え、記念の神楽大会が5月15日に開かれました。
大田市内の神楽社中8団体による神楽の競演が、朝10時から16時頃まで行われ、小さな子供からお年寄りまで沢山の神楽ファンを魅了しました。
多根神楽は、明治の中頃、多根佐比売山神社の宮司により、神職の舞を村人に伝授したのがはじまり。昭和16年頃に舞人が少なくなり、一旦途絶えていましたが、昭和41年に数名の青年団員により復活。現在20数名の団員が、伝統ある郷土芸能を後世に伝えるため、活動しています。