2011年8月号
大田の あがなもん こがなもん「鏝絵(こてえ)」
しっくい塗りの壁に浮き出た見事なレリーフ。コテを使って作り上げた「鏝絵」です。
写真は大田市大森町にある西性寺経堂の鏝絵。翼を広げた鳳凰、菊やボタンなどの花が活き活きと表現されています。
この鏝絵は大正時代に作られたもので、左官の神様とも賞される松浦栄吉(1958~1927 大田市仁摩町馬路出身)の代表作のひとつです。
石見地方には多くの鏝絵が現存し、表情豊かな作品が300点以上確認されています。この地域に多くの鏝絵が残るのは、江戸時代の地域社会と深い関わりがあります。
農地に乏しい石見地方の海岸集落では、出稼ぎに出る人の割合が高く、その中には左官職人の道を選ぶ人が多くいました。
都会で技術を磨いた彼らが故郷に帰った際に、地元の寺社や住宅などの壁に鏝絵を残したのです。
鏝絵には、仕事を請け負った職人が施主に感謝する気持ちや、寺社に奉納する気持ちが込められていたと言われています。
優雅で見事な造形を見ると、職人の心意気と熟練の技術が伝わってくる気がします。
鏝絵が多く作られたのは江戸時代後半以降です。
この時代、都市では火災が大きな脅威でした。その対策として幕府は燃えにくい塗り壁や瓦の使用を奨励し、左官工事の需要が増えたことが鏝絵が盛んに作られるきっかけになったそうです。
現在、「町歩き」が注目される中で、鏝絵の人気も高まっています。石見の鏝絵を紹介する「鏝なみ拝見」というサイトもあるので是非ご覧下さい。
http://www.kotenami.jp/index.html
ヨズクハデ
かつて銀山街道の宿場町として栄えた温泉津町湯里の西田地区。
このあたりの水田には秋になると巨大な「よずく」が出現します。「よずく」とはフクロウの方言。
刈り取った稲を乾燥させるための「稲はで」の形がフクロウに似ていることから「ヨズクハデ」と呼ばれています。
一般的に知られる「はで」は稲を平行に掛けるタイプのもので、田が狭い山間部では4,5段組むことが多いようです。
「よずくはで」のメリットは、一般的なはでに比べ、木材が少なくてすむこと、風の力に強いという点にあります。
360度どの方向からも風を受けることができ、効率よく乾燥させることが出来るのも利点です。
一般的なものと同様、手間暇かかる「はで干し」、見ることは少なくなりましたが、ぜひ残して行きたい秋の風物詩です。
古代ハスと埋没林公園の花たち
今年も古代ハスが元気に開花しました。
開花の時期は例年より遅かったものの、昨年より地元の方々に整備をして頂き、大事に見守った結果、これまで以上に大きな花を咲かせてくれました。
この古代ハスは、2000年以上前の地層から出土した種子から発芽に成功した、「大賀ハス」の子孫です。
当時、大田市出身の女性が博士の助手をしていた縁で譲り受けたものが発芽し、大田市の天然記念物として大切に育てられています。
埋没林公園には、2004年春の開園直前に移植され、同年夏には早くも開花しました。
埋没林公園に移植された理由は、時代は違うものの、「同じように太古の地層から出土したものとして一緒に大田市の宝としていきたい」とのことからでした。
大田市の古代ハスは斐川町の荒神谷遺跡公園にも株分けされていて、現在、そちらでも多くの花をみることができます。
埋没林公園の園内では、古代ハスの他にもたくさんの花を楽しむことができます。ササユリ、カキツバタ、ニワゼキショウ、ネジバナなど。派手ではありませんが、ほっと心を和ませてくれる花々です。5月の始めには、数年前に蒔いた種から小さなオキナグサが初めて咲きました。大切に見守っていきたいと思います。
可憐な花たちを眺めながら、太古の自然に思いをはせて見てはいかがでしょう。
さんべ荘のお風呂がリニューアル
このほど、世界遺産である石見銀山遺跡をテーマにした3種類の露天風呂を新たにオープンしました。
新しいお風呂は「代官の露天風呂」と命名。いも代官として親しまれている井戸平左衛門も三瓶の湯を好んだと言われることから命名されました。
さんべ温泉は、江戸時代より続く歴史のある温泉で、塩分、鉄分、炭酸が多く含まれ体の芯から温まり、その温もりは長く続き、身も心も癒してくれます。
リニューアルされたお風呂への通路は銀山の間歩(坑道)の様な造りで、仕切り塀は武家屋敷をイメージしています。
国産総ヒノキ造りの湯船の「代官の桧風呂」と、地元の酒造会社から提供を受けた2種類の釜風呂がもうけられました。
露天風呂は全て源泉かけ流し。一分間に3,600リットルものお湯がこんこんと湧き出る名湯に身をゆだね、心地よいくつろぎを楽しむことができます。
三瓶にお越しになられたら、是非さんべ荘の露天風呂で旅の疲れを癒してはいかがですか?