月イチガク② 海のたたら山のたたら ~田儀桜井家が経営した鉄山~

5月の月イチガクは、「海のたたら・山のたたら ~田儀櫻井家が経営した鉄山~」と題して出雲市文化財課の幡中光輔さんにお話をうかがいました。
田儀櫻井家は、江戸時代前半に奥出雲の櫻井家から分家して出雲市多伎町田儀でたたら経営を行った鉄山師一族で、その中心地であった宮本鍛冶山内遺跡と越堂たたら遺跡が国史跡に指定されています。幡中さんは調査を担当され、史跡指定に貢献されました。
たたらを経営した一族して奥出雲の田部家、櫻井家、絲原家が「御三家」と呼ばれていますが、生産量をみると田儀櫻井家はこの御三家と肩を並べる存在だったということです。そして、大きな特徴として海と山のたたらの両方を経営したことがあり、他にこのような経営形式をとった鉄山師はなかったそうです。
出雲は基本的に山のたたらで、石見には海と山の両方があり、その境にある田儀櫻井家は両者の折衷型だったと言えそうです。
では、海と山のたたらにはどのような違いがあるのでしょうか。単に立地的な違いではなく、経営の形態が異なるのです。
山のたたらは燃料兼原料の炭の生産と直結しており、炭の産地で操業することが基本です。山林の伐採が進んで近隣での炭生産が難しくなるとたたらを別の場所に移し、1箇所での操業はおおむね20~30年でした。砂鉄の供給も重要な要素ですが、重いもののかさばらない砂鉄はある程度運搬して供給されました。
これに対して海のたたらは砂鉄、炭とも外からの移入に頼る「コンビナート」形式です。その土地の生産性にしばられないので、購入できる場所から持ち込みながら1箇所で長く操業しました。越堂たたらも100年以上操業が続けられています。
海のたたらは原料を船で輸送するため、一気に大量輸送が可能という長所があります。田儀櫻井家は海と山の両方を経営する「多角化」により経営の安定化を図ったということです。
田儀櫻井家は、大田の経営者が所有していた越堂たたらを経営支援しながら、後に買い取る方法をとっており、海のたたらの状況を見極めて本格的に参入する様子は、まるで現代の企業の経営統合のようでもあります。一時期は、大田市鳥井町の百済たたらも経営しており、砂鉄の購入元も浜田方面で、海と山だけでなく出雲と石見の地域も越えた経営形式も注目されます。
その田儀櫻井家の遺跡は、宮本鍛冶山内遺跡は建物があった敷地や石垣が往時のまま残っており、田儀櫻井家本宅跡の石垣は城以外でこれほど大規模なものは他に見当たらないレベルだそうです。越堂たたら跡にはガイダンス施設が昨年オープンしており、たたらの構造などがわかりやすく展示されています。ガイダンスには地下の湿気を抜くために土管を用いた構造の実物も展示されていて、西洋から伝わった土管をいち早く取り入れた田儀櫻井家のスタイルを伝えるシンボルとなっています。
カテゴリー | 教室 |
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日時 | – |
会場 | さんべ縄文の森ミュージアム |
定員 | 20名(webでの参加は自由です) |
料金 | 入館料 |