さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある縄文時代の森。日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」構成文化財

イベント

月イチガク⑤「墓場放浪記 ~墓と石の旅路を追って~」

 

 817日の月イチガクは間野大丞さん(島根県古代文化センター)に、「墓場放浪記~墓と石の旅路を追って~」と題してお話いただきました。墓場放浪記シリーズは3年連続3回目です。

 まず、墓石とは何か、それを研究するメリットは何かを紹介されました。

 墓石は平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめに建てられ、墓石を研究することで、記録には残っていない地域の歴史を読み解くことができます。研究対象として、墓石は「原位置性」、「属性の多様性」、「紀年銘が残されていること」、「普遍性と地域性を兼ね備えていること」、「長い時間残ること」、「屋外にあり調査が容易であること」などのメリットがあります。

 今回のテーマである墓と石の旅について、石見の地域別に使われている石を見ると、大田市域は地元産の石が圧倒的に多く、地域外からの搬入が少ないという特徴があります。大田市には凝灰岩の石切場が多数残り、そのひとつである福光石は他地域にも搬出される供給地でした。供給地ゆえに墓石の大部分に地元の石が使われているのですが、それでも北陸の「日引石」や瀬戸内の花崗岩が若干入っています。

 地元産の石が多い大田市に対して、浜田市域と益田市域は他地域の石が多く使われています。いずれも大田市域の石が多く使われているほか、日引石と瀬戸内の花崗岩の割合が高くなります。浜田市での日引石の多さは、北前船に代表される日本海の廻船の歴史を物語ります。石は船のバランスを取るおもり(バラスト)を兼ねて流通するため、廻船の寄港地には他地域の石が入る傾向があり、大田市域でも日引石は寄港地だった温泉津地域で目立ちます。益田市は中世に瀬戸内の花崗岩が多く入っており、海洋領主と称される益田氏のもとで栄えた地域らしい特徴です。

 

 大田、浜田、益田の海岸部と津和野町域では使われる石の傾向が異なります。津和野町では「玄表(石)」と呼ばれた石材が採れ、これが多く使われています。玄表は青野山火山群の溶岩です。使いやすい石材が採れることと、内陸であることから地元産の石が多く使われることは納得しやすい点ですが、興味深いことに萩市で採れる「鍋山石」と周南市で採れる「平野石」が搬入されています。いずれも、岩質、外観とも玄表に極めてよく似ており、長門国、周防国から国境を越えてこれらの石が持ち込まれた理由は何だったのか、石見の墓石の謎です。

 

 最後に、墓石の旅路として転用の話が紹介されました。墓石を石垣などに転用する例が各地で見られ、松江城の石垣にも使われているそうです。このことは、会場との意見交換で盛り上がった部分で、墓石を使うことに昔の人は抵抗がなかったのか、とりわけ城のように重要な建築物に墓石を使うとは、現代とは感覚がかなり違っていたのかという疑問や意見がありました。また、意見交換の中では陸上を長い距離石を運ぶ方法はどのようなものだったかという疑問がありました。荷車なのか、牛なのか、あるいは人力か。このような話から、来年は「墓場放浪記 シーズン4」をという話題で終わった今回の月イチガクでした。

カテゴリー 教室
日時
会場 さんべ縄文の森ミュージアム
定員 20名(webでの参加は自由です)
料金 入館料
備考 ※年間パスポートで月イチガクに参加できます。
現地参加は要予約。

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