さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある縄文時代の森。日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」構成文化財

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<実施済アーカイブ>月イチガク⑨ 長崎シュガーロード ~銀の道から始まる物語~

1213日の月イチガクは、「長崎シュガーロード~銀の道から始まる物語~」と題して、日本遺産 シュガーロード推進協議会の中田千咲子さんにお話をうかがいました。

 

シュガーロードは、江戸時代に長崎から小倉(北九州市)まで砂糖を運んだ道で、長崎街道の別称です。沿道の8市の連携により、令和2年に日本遺産に認定されています。

シュガーロードと縄文の森には何の関係もなさそうですが、砂糖の輸入には石見銀山からはじまった日本銀の量産が関係していると思われることから、石見銀山遺跡を構成文化財とする日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」とのつながりで設定したテーマです。

 

砂糖の輸入がはじまったのは1571年とされ、江戸時代になると海外との取引は長崎に集約されました。長崎の出島の運営には主に銀が使われたそうで、日本銀の多くが長崎に集まっていました。

 

当時、砂糖は世界的な高級品で、ヨーロッパ列強は中南米や東南アジアでのサトウキビ栽培に注力していました。砂糖は世界をめぐる主要な商品のひとつで、植民地支配とプランテーション、奴隷貿易といった歴史的に大きなうねりを生んだ原因でもあったのです。

 

長崎に砂糖を持ち込んだのはオランダ船で、当初は船のバラストを兼ねて積まれていたものが荷下ろしされる程度の少量だったものが、やがて輸入品の30%を占めるほどになり、出島の近くに砂糖専用の倉庫が建てられるほどになりました。オランダから輸入された砂糖は白砂糖と氷砂糖で、別に中国からは黒砂糖も入っていました。

 

高級品の砂糖の輸入量が増えたのは、銀が持つ経済的な力があったこそだったのでしょう。大量の砂糖が輸入されるようになると、日本の料理や菓子に使われるようになり、食文化に変化をもたらしました。長崎では料理の味が今ひとつの時、砂糖が足りていないという意味で「長崎が遠かばい(遠い)」と表現することがあるそうです。

 

砂糖が多く出回ったことを示すこととして、当時の九州の人は虫歯が多く、江戸が11%だったことに対して26.9%にも達したそうです。九州各地に砂糖を使った菓子が生まれ、それだけ多く食べられたと言うことでしょう。

 

菓子は日本遺産シュガーロードの主要な要素のひとつになっています。長崎ではカステラがよく知られており、ポルトガル人が伝えたとされる菓子が長崎で発展して今のような形になりました。カステラの原型は平たくてかたい菓子だったそうですから、ずいぶん大きく変化したものです。

 

有平糖、ぬくめ細工も長崎のお菓子です。ぬくめ細工は有平糖ともち米をまぜ、型をつかって大黒や恵比須の面型にするもので、長崎くんちの時に奉納されるものだそうです。ザボン漬け、一口香、丸ぼうろ、金平糖など、シュガーロードの沿道には地域ごとに色とりどりの菓子が伝わります。

 

島根県では、石見銀山の銀をきっかけにヨーロッパとの文化交流がはじまったことがしばしば指摘され、よく知られています。しかし、そのことが国内の人々の暮らしにどのように影響したかということは、案外知られていない部分で、シュガーロードのお話は石見銀山遺跡の世界遺産登録20周年、発見500年の節目に向けてひとつのヒントになったように感じます。

 

銀の輸出拠点となった長崎と輸入品の砂糖が運ばれたシュガーロード沿道の市町との情報共有が進むことで、石見銀山遺跡の意義がさらに明確になりそうです。発見と開発に関わり深い神屋家の拠点博多(福岡市)と大内氏が拠点とした山口市など、石見銀山のストーリーが結びつく地域はいくつもありそうです。この縁を活かしていくことが、観光や教育での活用の手がかりになると感じました。

カテゴリー 教室
日時
会場 さんべ縄文の森ミュージアム