さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある縄文時代の森。日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」構成文化財

イベント

<実施済>月イチガク④「大地に銀を求め三千余尺~石見銀山の大採掘跡~」

 

 石見銀山はかつて銀を量産し、その銀は国内外の人と物の動きに大きな影響をおよぼしました。国内で最初に銀の量産に成功した銀山であり、ここで培われた鉱山技術が導入されて生野(兵庫県)、佐渡(新潟県)で銀山の開発が始まりました。これにより日本は世界屈指の銀生産国になり、銀を使って海外から物資を輸入できる国へ変わっていきました。

 銀の量産を牽引した石見銀山は、一時は世界屈指の産銀量を誇り、総生産量も佐渡、生野に次ぐ規模です。銀山の中心だった仙ノ山には多数の採掘跡が残り、その生産規模を物語ります。しかし、開発初期の採掘跡の可能性が高い露頭掘り(地表に露出した鉱石を採掘する)の跡は、見える範囲ではそれほど大きなものがありません。これまで知られている規模の露頭掘りで開発初期に銀を量産できたのか、あるいは知られていない採掘場があったのでしょうか。その疑問を解く手がかりになりそうな地形が、赤色立体図から見えてきました。

 

 

東西に延びる長大な溝

 赤色立体図では、仙ノ山山頂の南側を通過して東西に延びる溝(長大溝と呼ぶ)を確認できます。途中で分岐しながら、長さは1kmを超え、東の金生山付近から西は昆布山谷の奥部に続きます。この溝はこれまでの調査では知られていなかったものですが、一部は既知の露頭掘りと重なります。山頂の南側では、従来の測量で点在する穴が認められており、一部は竪坑型の採掘跡と判断されていたものが今回確認された溝に重なり、全体としては浅い露頭掘りで、富鉱部を深く掘り下げた状況がわかります。

 仙ノ山山頂の東側で南へ分岐する溝は本谷の本間歩上方へつながり、明治時代に藤田組が作成した坑道図に示された「五番弦露頭」の線がこれに一致します。坑道図に露頭線が1本だけ記されていることの意味はこれまでわかりませんでしたが、本谷地区の代表的な露頭掘りが五番弦露頭であることから記したと思われます。

 長大溝の西端は昆布山谷の奥へ続き、馬蹄形の緩斜面で消滅します。この緩斜面には、人為的な段差があり、段差の一部が長大溝の延長と一致します。露天掘り状に広く採掘した結果が、馬蹄形の緩斜面になった可能性が考えられる状況です。

 これらのことから、既知の露頭掘り跡をつなぐ形で連続する長大溝の全体が露頭掘りの跡と考えて良いでしょう。大部分が浅いとはいえ、数mの幅で1km以上連続し、一部は深く掘り下げていることから、多くの鉱石が採取された可能性があります。地表の風化帯に有用な鉱石が存在し、それを採掘して終えたものと考えられます。最長の溝以外にも数百m級の溝が複数認められます。これらの溝は、開発初期の採掘を示すと考えて良いと思われます。

 最大溝は、その規模もさることながら、2つに分かれていると考えられてきた鉱床の間で途切れず続いていることに重要な意味があると考えられます。

 

 

大規模な露頭掘り跡

 長大溝自体が大規模な露頭掘り跡とみられますが、その一部に広く掘り広げた露天掘り的な採掘跡があります。長大溝の東端に近い金生山下方がその場所で、赤色立体図で見るとえぐり取ったような急崖が連続しています。現地で確認すると、谷の斜面を掘り広げた採掘跡で、「三本露頭」と呼ばれる露頭掘り跡がその一部です。三本露頭は、4m以上の幅で採掘したもので、それも谷全体の採掘跡の一部に過ぎません。

 この谷の採掘の状況は、大久保間歩の深部にある「福石場」に共通すると思われます。福石鉱床は所々に鉱石が大きな規模で立体的に分布する場所があり、それを坑道内で掘り広げた場所が福石場です。金生山下方は、福石場と同様の富鉱部が地表に露出した部分を掘り広げた場所と考えられます。ここはこれまでも把握されていた採掘跡ですが、赤色立体図によって長大溝の一部にあたることがわかり、採掘跡の広がりがより具体的になりました。

 赤色立体図から露頭掘り跡の可能性が想定される場所として、石銀周辺にも注目しています。仙ノ山山頂に近い石銀は、採掘と生活の場が一体となった集落があったことが知られており、平坦地から建物跡などの遺構が確認されています。この平坦地は不自然な地形であり、これまでも採掘との関連が想像されてきました。

 赤色立体図で細かい地形を見ると、仙ノ山の北斜面を東西に長く掘削して、そこが平坦地として造成されたことがうかがわれます。掘削は方向性を持ちながら不規則な部分があり、造成を目的とした掘削にしては不自然です。溝状に残る露頭掘り跡との関係からみて、石銀の一部は大規模な露天掘り型の採掘跡の可能性があると考えられます。

 大規模な露頭掘り跡の可能性を示すこれらの地形は、坑道掘りに移行する前の銀の量産を示す証拠となり得ると考えられます。坑道掘りの多くは17世紀以降のものと考えられ、露頭掘りが中心だったと考えられる開発初期の採掘跡は、従来知られていた規模はそれほど大きなものではなく、一時は世界で指折りの銀生産量を誇ったとされる銀山としては物足りないものでした。金生山下方と石銀は、世界的な「大銀山」の採掘場所の可能性があると思われます。

カテゴリー 教室
日時 –
会場 石見銀山世界遺産センター
定員 30名(web配信はありません)
料金 入館料(世界遺産センターの入館料)