日本建築の伝統の延長線上に新しい文化をつくる 「解く」守山さん

2025.03.31

 

 

 

 


古民家生活に憧れをもち、IUターンした若者たちがSNSでその暮らしぶりや魅力を発信するこの頃。

 

その一方で、増加する空き家の古民家が倒壊の危険や町の景観を損なうなど問題にもなっています。
 

しかし、古民家(日本の伝統的家屋)は文化的価値も高く、貴重な木材などが受け継がれた、言わば建築技術の宝庫です。
 

それらが朽ちてしまうことは地域にとって大きな損失であるとの考えのもと、古民家を「解く」という発想で古材を生かし、世界に繋げ循環させる活動を展開する守山基樹(もりやま もとき)さんにお話しをうかがいました。

 

 

―守山さんが古民家に関心を持つようになったきっかけを教えてください。

 

 


僕が生まれ育ったのは大田市でしたから、子どもの時はよく自転車をこいで三瓶山まで行っていました。

 

目に映る山や立派な古民家がある景色が自分の「原風景」で、その印象をずっと持ち続けているのだと思います。

 

 

 

 


京都大学で建築を学び、卒業後はそのまま大学で教員になり「伝統的街並みの景観研究」をテーマに研究を続けていました。

 

たまたま大田に帰省していたときに島根の集落調査に関心を持ち、実際に調査してみるとめちゃめちゃ面白いと感じたのです。

 

 

 

―古民家とは、どのような家屋のことを指すのでしょうか?

 

 


「戦前に建てられた木造住宅」と思ってもらえると大きくは外れません。

 

建築基準法(1950年)が制定される前に建てられた木造住宅の多くは金具を使わず、礎石の上に柱を立てる伝統構法によって建てられており、私はそれを古民家と呼んでいます。
 

ただし、「古民家」という用語にきちんとした定義はなく、建てられてから50年以上が経過していれば古民家とされる場合もあります。

 

 

 


古民家の魅力とは何か、と聞かれたら、よく「言語と似ていること」と表現しています。

 

言語は、限られた種類の音素や単語が組み合わさって無限の意味がつくられますが、古民家も同じように限られた種類の要素から構成されていて、それが集合して街並みや集落を形成し、歴史文化や産業の現れとなっていることに魅力を感じています。
 

そのシステム自体に美しさがあると感じます。

 

 

―現在、私たちの住む島根県の空き家の状況はいかがでしょうか?

 

島根県全体の住宅では約54,600件(2023年調査)、中山間地では20%を超えています。
 

総務省の調査では、昭和35年以前に建築された全ての住宅に対する古民家の割合は島根県が1位で、2位が和歌山県、3位が佐賀県です。

 

(守山氏調べ 出典:総務省「平成30年住宅・土地統計調査」の「第6-1表」)
 

この統計調査をもとに、こんな図をつくりました。

 

 

 

 

 

―島根県が全国1位というのは驚きました!

 

 

 

多い県の共通点は、北前船(きたまえぶね)のルート沿いということです。
 

北前船とは、日本海沿岸の港と大阪を往復していた商船です。
 

米や塩、魚、木綿など多種多様な産物を各寄港地で売り買いする仕組みがあり、島根県は鉄や瓦を運び出し大いに発展していました。
 

それではここでクイズです。明治前期の人口は、現在の都道府県になおすと、どこが1位だと思いますか?

 

 

 

お話からすると、北前船の寄港地ですよね?

 

はい。明治前期は、全国の人口が激しく動く時期ではあるのですが、総務省統計局の長期統計によれば、明治21年と明治26年で新潟県が1位で、人口が170万人になっています。

 

 

―当時、島根県はどれくらいの人口だったのですか?

 

 

 

明治26年当時、島根県は70万人の人口規模でした。
 

北前船による交易拠点であったことや、鉄に代表される鉱物資源が豊かだったため、島根県は近代以前まで産業拠点として栄えていたのです。
 

ところが、明治以降に西洋式の製鉄方法が主流になってから「たたら」による製鉄産業が衰退しました。
 

また、物流のルートも、日本海から山陽側に整備された鉄道ルートに切り替わりました。
 

その結果、栄えた時代につくられた良いものが、近代以降に上書きされることなく、そのまま残りました。
 

島根県で古民家の割合が高い理由のひとつとして、こういった歴史的背景があると考えています。
 

産業構造の急激な転換により、島根県は近代化の波から取り残されたわけですが、見方をかえると、だからこそ古きよきものが残されたともいえます。

 

 

 

―島根県内で明治時代の歴史が感じられる場所はありますか?

 

 


僕が調査をしていて強く感銘を受けたのは出雲市鷺浦(さぎうら)と、大田市仁摩町にある宅野(たくの)の集落です。

 

いずれも、かつて鉄を運んだ北前船の寄港地で、往時の船主宿や商家が残っています。
 

特に鷺浦は、往時の街並みが面として残っている、日本でも極めて稀少な集落です。
 

海だけではなく、江の川も鉄の運輸の重要ルートになっていました。
 

美郷町や邑南町、江津市などの江の川沿いの集落にも、廻船問屋を営んでいた古民家が点々と残っていて、往時の様子が感じられます。

 

 

 

 


街並みの美しさはもちろんのこと、その背景にある製鉄、運輸といった歴史・産業を読み解くことができるのが街並みの魅力です。

 

島根の美しい街並みの多くが、「鉄」によってつくられていることに気づいてから、ぐっと引き込まれました。
 

これは、古きよきものが、面として、途絶えることなく、現代にも活かされつつ連続的に残されている島根だからこその魅力であって、全国でも他には稀な魅力だと考えています。

 

 

 

―守山さんは、空き家となった古民家を再活用する循環型プロジェクトをされていますね。

 

 

 

日本の伝統的な木造建築は、金具を使わずに木を組んで建てているので、解いて、もう一度組み直すことができます。
 

伝統社会では、製材コストが高かったため、建物を移築したり、パーツを部分利用したりすることが通常でした。
 

世界的には移築という文化があまりないので、西洋の人に日本の伝統建築の再活用文化の話をすると珍しがられます。

 

 

 


鷺浦には、北前船の船主宿として賑わった当時の民家と街並みがそのまま残っています。

 

空き家率は約60%ですが、驚くほどコミュニティがしっかりしているし相互扶助が強くて、空き家になった民家もしっかり手入れがされているので集落全体が綺麗です。
 

必要性が叫ばれている「共助」が、昔から自然体で実現している地域だと感じるとともに、ここでの地域社会が、人口減少下にある現代日本の未来のモデルになると直感しました。

 

 

 


鷺浦では、元船主宿の民泊として使われてた「輪島屋」をリノベーションしました。

 

伝統の上に新たなデザインや文化の息吹を吹き込み、高付加価値化するチャレンジです。
 

輪島屋はいま、一棟貸し旅館として新たな運営が始まっています。

 

 

―活動を通してよき仲間との出会いもあったそうですね。

 

 


出雲市多伎町出身の空間デザイナー・木工職人であるワイルズ一(はじめ)君は特に近いパートナーで、古民家・古材活用事業を一緒に進めています。

 

大学に在職していた研究者時代から、島根の古民家や古材を活用する事業について意気投合し、構想を練ってきました。
 

輪島屋リノベーションでの古材活用のデザイン施工や、古材を活用した家具・建具のデザイン施工はワイルズ君による仕事です。
 

ぜひ足を運んでみて、新しい試みを実際に体感していただきたいです。

 

 

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