「1粒の大豆から」美味しいサスティナブルなものづくり とうふ屋角久 角さん
食卓に上がる食品が、どこで、誰が、どうやって作っているのか考えたことはありますか?
例えば、味噌汁や鍋物に入っている豆腐!
島根でも大豆が育てられ、昔ながらの製法を基本にした美味しい豆腐が作られています。
農業やものづくりは、地域の文化や暮らしと切り離せないもの。
安来市の老舗とうふ屋「角久(すみきゅう)」の角寛志(すみ ひろし)さんに、豆腐づくりとふるさとへの思いを聞きました。
-おいしそうな豆腐!角久さんはずっと安来で豆腐を作っているんですか?
これは昔ながらの作り方を守っている豆腐です。
油揚げも昔から変わらない作り方。一枚一枚手揚げしているので、厚みがしっかりあり食べ応えがあります。
どちらも安来の大豆でできているんですよ。うちでは商品の4割に安来産の大豆を使用しています。
昭和12年創業で、そのころは安来神社のあたりに小さなお店を開いていました。
醤油の小売などの事業もやりながら家族経営で豆腐をつくる、昔ながらの「町の小さなお豆腐屋さん」という感じですね!
その後商売を豆腐作りに一本化し、昭和61年に社日小学校近くに工場を建て、今に至ります。
-戦前から地域に根付いている会社なんですね。寛志さんは子どもの頃から家業を継ぐつもりだったんですか?
いや〜、実は父からは「継がなくていい」と言われていたんですよ…。
安来にいたのは高校まで。関西の大学に進学し、経営学を学びながら「企画の仕事がやってみたいな」と思っていました。
卒業する頃に工場で人手が足りなくなり、近隣の豆腐屋さんが相次いで廃業し、うちの受注量が増え「やっぱり戻ってきてほしい」ということに。
Uターンし、社長であり作り手として現場に出る父を師として豆腐づくりのノウハウや経営などを学びました。
-それは意外でした!今は新しい商品づくりや企画などで精力的に活動されていますよね?
お客様やスーパーのバイヤーさん、学校関係者などいろいろな人の声を聞く中で「角久の豆腐は、この地域で必要とされている」と気づいたんです。
それが励みになり、地元の方の声をフィードバックした商品展開や販路開拓に力を入れ始めました。
本当にありがたいです!
-安来産の大豆を使おうと思ったきっかけはありますか?
安来の大豆を使い始めたのは20年ぐらい前からですね。
高速道路が整備されて山陽エリアや関西からの流通が活発になり、地元の産業に徐々に影響を与えるようになったことが転機になりました。
豆腐屋も農家も小売店も、付加価値を生み出して差別化していかなければ生き残れない…。
それなら時代のニーズに合わせ、自分たちの目で確かめられる食材を信頼できる生産者から仕入れ、食の安心・安全を大切する方向に舵を切ったほうがいい。
そう考えて、地元の大豆を使った〝地産地加工〟のブランドづくりを始めました。
-生き残りをかけた挑戦だったんですね!でも、最初は大変だったのでは…。
まず、大豆の確保がハードルでした。
もともと安来は大豆の大規模生産地ではないんです。それでJAに相談し、地元の農家さんに声をかけて生産してもらえることに。
皆さんの協力のおかげで、安来産の大豆が手に入るようになりました。
また、国や県の方針で米から大豆に転作する農家さんが徐々に増えていったので、時代の変化が味方になってくれた面もあったと思います。
-米作りが難しくなった農家さんも大豆に変えれば続けられるなら、地域の農業にとっても良いですね。
大豆は転作推奨作物なので、挑戦する農家さんが多いようです。
安来の大豆の生産量の6〜7割は、農薬や化学肥料を減らした環境保全型の農業を行う「エコファーマー」によるもの。
エコな農産物はそれだけで付加価値があります。
能義(のき)平野などには冬になるとコハクチョウがたくさんやってきますよね。
安来はそれだけ豊かな穀倉地帯だということ。自然に配慮しながら地域の農業を絶やさないように、みんなと一緒にものづくりを続けたいです。
-なるほど、みんなで協力すれば自然に優しくクリエイティブな活動ができそう!
角久さんが会社として行なっているエコな取り組みはありますか?
規格外の油揚げや切れ端を、細かく刻んで「きざみあげ」にし、規格外の豆腐はがんもどきにして販売しています。
豆腐屋って、元々フードロスが少ない業態なんですよ。
おからの一部は販売していますが、多くは〝廃棄物〟に…。
でも、ゴミとして焼却することはありません。
バイオマスセンターで堆肥にし、再び土に還します。
また、豆腐のパックには再生プラスチックを使ったハイブリッド容器を採用していますね。