まずは1歩踏み出して挑戦!ワクワク楽しい地域Lifeを! 津和野町 上潟口さん

2021.03.30

 

海外生活での気づきや「まずはやってみる!」の精神から環境をライフワークに、地域を楽しみ幅広く活動する上潟口琴代(かみがたくち ことよ)さん。取り組みを始めた経緯や地域の持続可能性など津和野町の将来像をお聞きしました。

 

 

―環境と地域の資産を上手く活用している空間ですね!
高津川沿いにこんな素敵な場所があるなんて知りませんでした。

 

 

ここは「かわべ」と言って、高津川のほとりに残された古民家や蔵をリノベーションしたコミュニティスペースやコワーキングスペース、図書館とカフェも併設された地域のにぎわいを創出するための場所です。

 

 

 

季節のイベントや上映会、コンサートの会場にもなるんですよ。
空間と電気をシェアしながらゆったりと過ごせるコワーキングスペースは今日も人気です。

 

 


―今度、私もここで仕事してみたいです!
上潟口さんは、日原のご出身なんですか?



はい、そうです。

「かわべ」の裏のところから河原に降りられるようになっていますが、高津川は、私の子どもの頃の遊び場!

夏休みになったら午後は毎日泳ぎに行って友達と潜ったりしていました。

 

 

 

でも、いまはすごく変わっちゃった感じがします。
生き物の種類も数も減って、ただの水路になっちゃったような…。
BOD(生物化学的酸素要求量)の数値が良くなって来て清流と言われることもありますけど、生命力が小さくなっているといいますか。

 



映画の舞台になった左鐙(さぶみ)の近辺にはまだ昔のような環境が残っているところもありますけど、水深が浅くなり川中にヨシ(イネ科ヨシ属の多年草)が生えたり、生き物が少なくなったり。

 

 

 

昔は、生活排水を垂れ流してたのに川がキレイだったのは生物層が豊富でそれらが分解、浄化していたからだと思います。
今の高津川は、川としての力がすごく弱くなっていると感じています。

 


―子どもの頃に身近な存在だったからこそ、昔との違いが見えるんですね。
上潟口さんは環境問題をライフワークにされていると伺いました。


東京の大学へ進学し就職した後、割と早く結婚したんですが、主人の仕事の都合で海外で生活することになったんですね。
アフリカや東南アジアにも住みましたしヨーロッパにも住みました。

ウイーンやドイツって環境に対する対策の先進国で、30年以上前からレジ袋が有料化されていたりゴミの分別が体系化されていたんです。

 

 

 

日本なら古着をまとめて回収しますが、向こうには街中に専用ボックスがあって、古着をキレイに洗って入れておけば欲しい人が持って行って良いんですね。

固定の住居に縛られず、移動型の生活をする方もいますので、その方たちが冬にあったかいモノを着たいだろうな…と思えば、街の人が厚手のものを入れておいてあげる。

 

 

ただの「リサイクルボックス」ではなくて、思いやりや配慮の受け渡しが自然とできる仕組みがあります。

フリーマーケットも盛んで、誰でもやって良いんです。

ガレージの前や公園で毎週どこかでやっていて、こういう風に物を無駄にしないことや環境に対して関心を向けることなど、日本でもやったら良いのにって思うようになりました。

 

 

それに、根本にあるのは命を大切にしたいということですかね。

自然や環境のこと、動物愛護活動も命を大切にしたいことに繋がっていて、だからできるだけ自然に負荷をかけたり、無駄に資源を消費しないことを意識しています。

 

 

 

 

―様々な環境で生活することでそんなきっかけがあったんですね。
島根に戻って来るきっかけはなんだったんですか?

 

 

ある時、一時帰国した際に両親の調子が少し良くない様子で、私は一人っ子なものですから、両親からすると自分しかいないし、私も後悔したくないから面倒を見ようってしばらくこっちで生活することにしたんです。

 

 

 

その時は、いずれまた夫のところ(海外)へ行こうと思ってたんですが、こっちで生活する内にだんだん根が生えて来るというか、知り合いや仕事も少しずつ増えて津和野町での活動が広がっていきました。

両親はもう他界しているので夫の所へ行こうと思えば行けたんですが、その時はもう地域の人との結びつきが強くなっていましたので、それが繋ぎ止めてくれたんじゃないかと思います。

 

―ご両親や人との結びつきが大きなターニングポイントになったんですね。
こちらに帰って来てからはどのようなことをされていたんですか?

 



教育委員会からALT(外国語指導助手)のサポートとして通訳のお仕事をいただいたりしましたが、これが、帰って来て地域と関わる初めての取り組みでした。


また、すぐに知り合った方もエコや環境問題に興味を持っている方だったんですが、ちょうどその時に県の「地球温暖化防止活動推進員」の第1期生を募集しててじゃあ応募してみようかっていう話になったんです。

 

 

 

それから、県内の学校やいろいろな団体から要望をいただいて、「環境アドバイザー」として環境問題や現状、その重要性について普及・啓発活動を行なっています。

 

 

その後は、地域の推薦をいただいて公民館の主事をやったり、そうなると地域の方との繋がりが増えネットワークが広がりますので、出身校の日原小学校と地域を繋ぐコーディネーターなどもやりました。

 

 

 

 

例えば、地域におられる戦争体験者の方に、子どもたちに色んな角度から話をしていただきました。

満州から引き上げて来た方の話や、小学校低学年で栃木県へ疎開していた当時の体験談。
私が子どもたちに一番聞いて欲しいと思ったのは、日原小学校の6年生だった時に終戦を迎えた88歳の方の話です。

時は違えど同じ年齢、同じ小学校で過ごしたその少年が当時何を感じ、考えていたのかという話は、やっぱりより身近な事として今の子どもたちも感じられると思います。

 

 

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