さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

島根県大田市にある三瓶小豆原埋没林公園

お知らせ

月イチガク「水をまつる~三瓶のわき水と信仰~」12月2日開催しました

2023.12.03

いにしえから現在まで、三瓶山とそこから流れ出る静間川を人々はどのように見てきたのでしょう。

水にかかわるまつりと信仰について、参院民俗学会の多田房明さんにお話していただきました。

 

静間川の河口に近い大田市鳥井町に三瓶山の古名を名乗る「佐比賣山神社」があります。

山が見えない場所に山をまつる神社があることが不自然だと多田さんは指摘します。

 

この神社には様々な神がまつられていて、いくつもの神社を合祀したり、他の信仰を取り入れてきたことがわかります。佐比賣山神社が立地する場所の字は「八幡」で、この場所には八幡宮があり、よそにあった佐比賣山神社を合祀したときに社名もこれにあわせたそうです。鳥井の人が佐比賣山神社を大切にしていたことの現れといえます。

 

合祀前の佐比賣山神社は鳥井南丘陵の山裾にあり、丘陵の上からは南に三瓶山を望むことができます。その場所には鳥井南遺跡があり、ここでは三瓶山をまつったと考えられる祭祀遺構が発見されています。巨木の下で長期間にわたって祭祀が行われていたことがわかっており、この祭祀が佐比賣山神社のルーツと考えると、鳥井町にこの神社があることの意味が浮かびあがります。

 

山そのものへの信仰とは別に、鳥井海岸では物部神社の藻刈り神事が行われます。和布を刈る重要な神事で、もともと鳥井海岸付近に静間川の河口があったことに由来すると考えられます。

物部神社では藻刈り神事の翌日に御田植祭が行われます。

一年の豊作を祈念する祭りで、三瓶山から田の神「サンベイ」を招き、三瓶山の田植え囃子が奉納されます。農耕を支える水源である三瓶山への信仰です。

御田植祭と実りを祈る9月の田面祭(たのもさい)で重要な社は、側社の「一瓶社」です。この社は大瓶をまつっていて、12月の造酒神事ではこの瓶を使って酒を仕込みます。三瓶山をまつる社としての「一瓶社」が重要な神事の主役であることは、物部神社のルーツが三瓶山と静間川の水への祈りであることを物語っています。

 

三瓶山を望み、そこから流れ出る静間川が大きな支流のひとつ忍原川と合わさる地に物部神社がまつられ、静間川が海に注いでいた鳥井で藻刈神事が行われるという関係で、鳥井は海からやってくる神を迎える場所でもあるそうです。物部神社の一の鳥居があったことが「鳥井」の地名の由来とも言われます。

 

静間川の源流に注目すると、そこには浮布の池があります。

この池には邇弊姫神社がまつられていて、正面が池を向いていることが特徴で水への祈りであることを表しています。7月の例大祭では、池の北端から船で参り、池ノ原の田植囃子を奉納して豊作を祈ります。

 

水源の山である三瓶山は「水瓶」の山であり、山と水へのいのりが物部神社と邇弊姫神社の祭りとして受け継がれているというお話でした。

今回は静間川が中心でしたが、三瓶川沿いにも水へのまつりに関わる神社があり、縄文の森に近い中津森にある佐比賣山神社もそのひとつということです。

月イチガク「縄文の森に狩人登場」!?」11月25日に開催しました

2023.12.02

 宮城県仙台市の富沢遺跡では、約2万年前の森林と人々の生活跡が発見され、地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)として現地での保存と展示公開が行われています。今回の月イチガクでは、同館の平塚幸人さんに富沢遺跡についてお話をうかがいました。

 

 「狩人登場」のタイトルは、昨年10月に富山県魚津市で開催された「埋もれ木サミット」の際に平塚さんが紹介されたミュージアム・シアターの話題が印象的だったことからつけたものです。

 富沢遺跡は仙台市の市街地にある広大な遺跡で、19871988年に行われた発掘調査によって約2万年前の森林と人々の暮らしが詳細に解明されています。その成果を紹介する地底の森ミュージアムの常設展示内容を実感しやすくするための取り組みとして、劇団員が旧石器人に扮して当時の暮らしのイメージを演じ、来場者と対話するという取り組みを行っています。これが「ミュージアム・シアター狩人登場!!」です。

 資料に基づいて演じていますが、服装などわからないことも多く、できるだけ史実に近付けるように相談することが研究へのフィードバックにもなっているということでした。

 

 それでは、2万年前の富沢の風景はどのようなものだったのでしょうか。

 この頃は最終氷期中で最も寒かった時期にあたります。富沢遺跡ではこれまでの発掘調査から次のことが明らかになっています。

 一帯は傾斜の緩い平坦な地形で、湿地が広がっていました。陸地部分には針葉樹が生え、樹種は、北海道北部から樺太あたりの現植生に近く、アカエゾマツに近縁のトミザワトウヒ(絶滅種)、カラマツの仲間であるグイマツ、その他にチョウセンゴヨウなどが生えていました。

 そのなかで人がたき火をした跡が見つかり、石器を作ったり動物を解体したりしていたことが推定されています。使われた石器の顕微鏡観察から、ウサギ程度の小型の動物を解体したと推定されているそうで、そこまで解析できることに驚きをおぼえます。

 動物の痕跡としてシカのフンが複数の地点で見つかっていることも特徴です。堆積物とケイ藻化石から想定される水陸の境とシカのフンの分布、水生昆虫と陸生昆虫の化石の分布がほぼ重なるということで、高精度で2万年前の風景、環境が解析されていることがわかります。

 このような古環境と古景観の解析に基づいて描かれた復元画の紹介もありました。発掘調査で新しい情報が蓄積されると新しいバージョンが同じ作者によって描かれ、これまで4バージョンあるそうです。いずれも東側から西側を見る方向で描かれて、樹種も調査結果に沿った精密なものです。

 

 2万年前の風景を詳細に復元できたことは、古環境を示す証拠が良好な状態で残っていたことが要因のひとつです。当時の地表にあったものが良好に残した作用がどのようなものだったかは注目したい部分です。

 三瓶の場合は火山噴火というイレギュラーな地質現象によって急速な埋没が生じましたが、富沢ではそれほど劇的な現象を示す堆積物はありません。旧地表を覆う堆積物は砂より細かいシルト、粘土で、付近にある金洗沢と二ツ沢が供給源と推定されています。ただし、埋没のメカニズムの解明はもう少し検討の余地があるということでした。

 証拠が残った理由として、寒冷なため有機物の分解が遅いことも関係あるのかも知れません。その可能性を支持するように、東北地方では最終氷期中の埋没林が多く発見されています。

 

 今回、富沢遺跡について詳しいお話をうかがい、古環境復元が持つ可能性をあらためて感じました。現在の環境を知り、未来を予測する上での情報源は、過去の事象です。埋没林は一般的には地味な存在ですが、大きな意味と可能性を秘めていることを、埋没林を展示する富沢、魚津、三瓶の3施設で発信することの大切さを感じた月イチガクでした。