千年つなぐ秋の実り 柿壺株式会社 小松さん

2020.02.27

 

秋から冬にかけ、食卓に彩を添えてくれる西条柿。
 

島根県は栽培面積が全国でもトップクラスの名産地です。
 

出雲市野石谷町にある柿専業農家「柿壺(かきつぼ)」オーナーの小松正嗣(こまつ まさし)さんは、その美味しさと伝統を未来につなぐために就農したIターン移住者。
 

その柿作りへの情熱をお聞きしました。

 


-プリッと張りがあって、輝くようにきれいな色…美味しそうな柿ですね!



西条柿(さいじょうがき)は、中国地方で作られている歴史ある品種で、高い糖度とメロンやマンゴーのようなとろける食感が特徴です。
 

出雲産の西条柿は2012年に行われた野菜ソムリエサミットで大賞を獲得し、日本一美味しい柿とも言われているんですよ。
 

柿の学名は「ディオスピュロス・カキ(Diospyros kaki)」。
ギリシャ語で「神様の食べ物」という意味です。
 

柿の一大生産地であり、八百万の神が集う神話の地・出雲から、美味しい柿が全国に出荷されています。

 

 

-柿壺さんは、野菜やお米などを作らない「柿専業農家」だと伺いました



そうなんです。全国的には珍しいと思いますが、とにかく「美味しい柿を作りたい!」と仲間と日々奮闘しています。
 

社員は4人ですが、冬の繁忙期は何人かのパートさんにも手伝ってもらっています。
パートさんの中には松江などの市外から来てくれる方や、いつもは農業に関わりがないけど、秋になると「柿に関わりたい」とお手伝いに来てくれる方もいますよ。
 

柿づくりを始めて6年。
地元の柿農家の方をはじめ、みなさんに助けられながら挑戦を続けてきました。
 

今は約8.5haの柿畑を管理しています。

 

 

-小松さんは兵庫県の出身ですよね。島根とはどんなご縁があったんですか?


はい。僕は兵庫県の加古川で生まれました。
 

高校時代、3年間お世話になった先生がたまたま島根大学出身で、進学を勧められたんです。
専攻は化学でしたが、あまり一生懸命学業に勤しむ方ではなく、バンドに夢中でずーっと音楽ばかり。
 

4人編成のロックバンドで、作曲して東京や大阪などでライブをしたり、CDを出したり…。
でも、バンドで飯を食っていくのはなかなか難しく、結局解散。
 

27歳の時に島根から一旦地元に帰りました。

 



兵庫県ではウェブ関係の仕事をして暮らしていましたが…2011年3月11日、あの東日本大震災が起きたんです。
 

いてもたってもいられず、一人で岩手に向かいました。
現地はすごく混乱していてボランティアも簡単には入れない状況でしたが、なんとか釜石や陸前高田市などの沿岸部を巡りながら、現地の人たちとともに支援活動をしたんです。
 

交通はもちろん、電気もガスも水道も止まり、大変なことばかり。
ひと時も気が休まりませんでした。
 

特に困ったのが食事!コンビニや自販機などで買える状況ではなく、「食べられるときに食べなければいけない」という切羽詰まった状況に初めて身をおきました。
行く前から少しは覚悟していましたが、衝撃でしたね。

 

 

-食べることの大切さを身をもって知ったんですね!

 

生きるのに一番必要なのは食べ物。
「食べること」「生きること」に直結した仕事がしたいな…と漠然と思うようになりました。
 

そんな時、大学の助教授をしていた従兄弟に「教え子が飛騨高山で農業をしているから行ってみないか?」と誘われ、すぐに退職しました。
自分で何かをつかみたかったんですね。

 

-大きなターニングポイントですね。行ってみてどうでしたか?


高山に着いたら、そこは見渡す限りの山里。
一番近いスーパーまで車で40分かかるような不便な土地でした。

でも、とにかく水はきれいで豊富。灌水しやすくて土地も広々としている、農業にぴったりな場所だと感じました。
 

そして何より感動したのは、農業に携わる人たちの関係の深さ!
みなさん、自然に価値観を共有して暮らしているのがいいなと思いました。
 

お世話になったご夫婦も仲が良くて、明け方から農作業をして、二人で向かい合って野菜を選別しながら話したりしていて。
農業というか、田舎暮らしがそうさせるのかなあ、なんて思いました。とても清々しい毎日を過ごしました。
 

しばらく畑仕事や農業機械の操作などを教わり、農業の知識と技術を身につけていきました。
そのうち、高山での定住を誘われるように。
 

広い土地、家、農機具などが一式500万円くらいで買えるという好条件の提案もありました。
一人で農業をして食べていける面積もあるし、販路まであった。
でも、縁もゆかりもない地域なのでちょっと寂しさもあり…。
 

そんな時、島根の平田にいる島大の後輩が「島根の農業を見に来ませんか」と声をかけてくれたんです。
その子の実家は大きな酪農家で、手伝いもして欲しかったかもしれないですが(笑)。
 

それが29歳頃の秋でした。一旦途切れた島根との縁がまたここで蘇りましたね。

 


-そうだったんですね!そして、「西条柿」との出会いですね。

 



平田に来てしばらくして、お世話になっていたご家庭でお茶に呼ばれた際、西条柿をはじめて見たんです。
 

兵庫では柿といえば赤いものですが、それはきれいなオレンジ色でした。
一口かじってみて、びっくり!「こんなに甘い柿ってあるんだ!」と本当に感動しました。
 

ちょうどそのころ、柿農家の方が「あんたぁ、農業したけりゃ、柿ィ、やらんかや!」と声をかけてくれていたんです。
その家のご主人が、僕の今の柿の師匠。
 

それから「このうまさには何か理由があるんじゃないか」と考えて、農家の方に聞いたり、図書館に通って平田の歴史や西条柿のことを調べてみました。

 

 

2ページへ→

 

 

ページトップへ